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My Choice/2021年印象に残った本

2021年は引き続きCOVID-19に明け暮れた年だったけれど、自分の周囲は幸いなことに落ち着いていて、本もいつものように読むことができた。数えてみたところ読んだ本は全部で129冊。2020年は131冊、2019年は121冊だったから、ひとまずは順調といったところか。小さい字が見にくくなってはきたものの、眼鏡を外せば支障なく読めるのでまだまだ頑張りたい。
さてそれでは毎年恒例の「印象に残った本」を挙げてみたい。なお「新刊」には今年文庫化されたものを含み、「既刊」には新刊で買ったまま積んであったものを含んでいるのであしからず。また文章は以前アップした月の記事の抜粋して一部修正したものです。

<新刊部門> ―今年出版された本―
『十二章のイタリア』内田洋子 創元ライブラリ
著者は通信社を主宰し、四十年余りに亘って日本とイタリアの掛橋となっているジャーナリスト。イタリア語学科の学生だった頃の思い出から、卒業後に単身飛び込んだイタリアの暮らし、そしてこれまでに出会った多くの人々の記憶が交差して熟成し、まさに馥郁たる香りが文章の間からたちのぼってくるようなエッセイとなっている。昔、林望『イギリスはおいしい』や玉村豊男『パリ 旅の雑学ノート』、須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』などを初めて読んだときのことを思い出した。
出版に関わる仕事に携わっているだけに、本に関わる話題が多いのはもちろんだが、本書の魅力はそればかりではない。ひとことで言えば、ここに書かれているのはイタリアの「文化」だ。文化とは美術や建築物のことばかりではない。また、テレビの旅行番組や雑誌の特集記事に載っている流行りの音楽やファッションのことでもない。それは「日々の営み」であると思う。仮に、栄養補給の為の食事や、体力維持のための睡眠や、あるいは仕事のための時間以外のすべてのものが「文化」だとしよう。本書を読めば、筆者が友人たちと過ごした食事や、高速道路を降りて尋ねた村で過ごした時間、ベネツィアのバールで出逢った人々との会話も、すべてがイタリアの「文化」そのものと感じることができる筈だ。それにしても開放的で友好的なイタリアの人たちにとって、食事を通じた交流がいかに大切なことか。開高健ではないが、まさしく「心に通じる道は胃を通る」のである。
どのページを開いても驚いたり哀しんだり笑ったり、心豊かな読書体験を味わえるのだが、とりわけ本書の良さをよくあらわしているのは、ウンベルト・エーコとの邂逅を綴った第十一章「テゼオの船」ではないかと思う。エーコが述べたという次の言葉が象徴的だ。
「本を読まない人は、七十才になればひとつの人生だけを生きたことにのる。その人の人生だ。しかし本を読む人は、五千年を生きる。本を読むと言うことは、不滅の過去と出会うことだからだ」
以前、どこかで聞いた「人がひとり亡くなるということは、図書館ひとつ焼け落ちたのと同じである」という言葉を思い出した。差し詰めイタリアに暮らす人々は、一人ひとりが数千年に亘るヨーロッパ文化源流の歴史を持った図書館であるといえるかも知れない。

『山の人魚と虚ろの王』山尾悠子 国書刊行会
若い妻との新婚旅行へと出た「私」。列車による数日間の二人の旅は、〈夜の宮殿〉への訪問を経て、〈山の人魚団〉なる舞踏集団を主宰していた伯母の葬儀へと続いてゆく……。
断片的な記憶の連なりは暗示に満ちたエピソードに彩られ、読む者もまた「私」と同じように、夢か現実かも判然としないイメージの世界を彷徨うことになる。絵画でいえばレメディオス・バロ、小説で言えばグスタフ・マイリンク『ゴーレム』やレオノーラ・キャリントン『耳らっぱ』などを連想させる。(或いは外函の装丁に使われたルドンのリトグラフ。)いずれ物語の流れというよりは、イマジネーションのひらめきを愉しむ作品かと思う。個人的には著者は『飛ぶ孔雀』のあたりから、さらに凄みを増したように感じている。
曖昧さはなく明晰に細部まで書き込まれているにも関わらず、全体を見るとどことなく歪で不安定な構成。見たこともない言葉の繋がりに異化作用を覚えつつ、それでいて懐かしさも感じさせる。物語の背後にしっかりとした虚構の存在を思わせる作風は、幻想からシュールリアリズムの世界へともう一歩踏み込んだと言えるのではないかと、そんな気もする。何度も読み返して味わいたくなる作品だ。

『旱魃世界』J・G・バラード 創元SF文庫
山田和子訳。バラード初期の傑作〈破滅三部作〉の第二作目として1964年にアメリカで出版された『燃える世界』を、1965年にイギリスで出版するにあたり著者自ら全面的に書き直した作品。これまで邦訳されていたのはアメリカ版であり、イギリス版は今回が初お目見えとなる。
帯やあらすじ紹介には「完全版」と謳われているが、自分の印象を一言でいうと"デジタルリマスター版"という感じ。アナログ録音の楽曲がデジタルリマスターで隅々までくっきりした音になってよみがえるように、本書では著者の示そうとするビジョンは、『燃える世界』より細部まで鮮明に、くっきりとピントが合っている。作品としての評価は、もとより一人一人の読者に委ねられるものであるけれども、少なくとも自分にはアメリカ版とはまったく別の(はるかに優れた)作品であると思えた。
ではバラードが本書で示そうとしたビジョンとは何か。それは解説で牧眞司氏が書かれているように、当初からバラードが一貫して追求し続けた「内宇宙(イナー・スペース)」であり、中期の〈テクノロジー三部作〉で明確になっていった「景観(ランドスケープ)」というもの。初期三部作ではそれが破滅的な超自然という極限状態であったのに対して、中期三部作では人工的に作り出された景観(テクノロジカル・ランドスケープ)であるという違いはあるが、景観と精神を一致させたおかしな人間が狂言回しとなって主人公が地獄巡りをする構図は同じ。精神と一体化した景観はときに攻撃的であり拒絶的であるが、ときに穏やかであり受容をも示す。
精神世界と外宇宙が出会う場所、時間と空間と精神が溶け合う場所である内宇宙(本書では「内なる景観(イナー・ランドスケープ)」という表現がされている)に著者が極めて自覚的であるのは、次の言葉からも分かると思う。
「失われた時間の瀬に干上がったイメージだけが残る、遠い宇宙の亡霊たち」「そこでは、未来を構成する要素が、静物画のオブジェクトのように、形も関係性もなく、彼を取り囲んでいるだけだった」
正直なことを言うと『燃える世界』は初期三部作の中では一番評価が低かったのだが、本書を読んで印象が変わった。中期三部作を代表する作品がが『クラッシュ』であるように、初期三部作を代表する作品は本書『旱魃世界』でさえあると思う。

『サラ金の歴史』小島庸平 中公新書
副題は「消費者金融と日本社会」。最初は興味本位と怖いもの見たさで手に取ったのだけれど、読んでみたところ極めて優れた消費経済史になっていた。しかもこれまで聞いたこともないような話が丹念に拾い集められていておもしろい。ネットで高評価なのも頷ける。終章に詳しく書いてあるが、「サラ金」をダーティーな印象で感情的に糾弾するのでなく、敢えて一歩引いたところから眺めることで、マクロな経済環境の中で日本の金融システムが作り出した特殊な業界の姿を客観的に捉えることに成功している。(もちろん、その非人道的な取立ての様子なども、第5章にしっかりと出てくるが、主眼は「なぜそのようなことになったのか」を解き明かすことにある。)
なぜサラ金は借金の返済能力が低く債務不履行のリスクが高い人に積極的に融資を行なったのか。純粋な営利企業であるはずのサラ金が、行政によるセイフティネットの代わりに貧困層への金融を行うという「奇妙な事態」がなぜ起こったのか、そういった疑問が本書を読むことで氷解した。
駅前で配られた大量のティッシュや親しみやすいテレビCMと、一方で「サラ金地獄」による膨大な数の自己破産や自殺者を生み出したことは、ひとつの同じ企業による事業活動の結果なのだ。(そしてなぜそうなったかは全て説明されている。)
本書によれば、個人向けの金融は、かつて「素人高利貸」と呼ばれたものにその起源があるとのこと。2010年に完全施行された改正貸金業規制法によって上限金利が大幅に引き下げられた結果、現在では最大手の武富士が倒産し、アコムとプロミスが銀行の子会社となってしまっており、サラ金という業界はほぼ消滅したように見える。しかし彼らが考え出した数々の「革命的な」金融技術は、形を変えていまでも個人向け融資の世界で受け継がれているのだそうだ。テーマ自体は決して好みのものでは無いのだけれど、非常に知的興奮を誘う良書だった。

『夕暮れの草の冠』(柏書房)
西崎憲氏の編纂によるアンソロジー〈kaze no tanbun〉の最終巻となる第三巻。とても美しい工芸品のような書物だ。創作、随筆などの区別なく、ただ十八の「短文」として収録された文章が、その配列や装丁の妙も合わさったことで、書籍の形をしたひとつの完成体として存在している。もちろん全体としては「創作」の比率が高いのだけれど、それもまた幻想小説やSFや私小説といったジャンルの垣根など無く、ただ、ある一人の作家による「創作」としてそれぞれが屹立しているように思える。
人を襲って食べる恐るべき何物かは、ライオンという名が付けられた瞬間に恐ろしくはあるがただの獣に姿を変えた。ここに収録されている数々の文章は、ライオンと呼ばれるようになる前の「何か」ではないだろうか。もしくは、あるひとつのジャンルとして理解されることを拒絶して、「◯◯ではない」という言葉を列ねることでしか表現し得ない、まるで「否定神学」にも似た「否定小説」とでも呼ぶべきもの。読む者の胆力を試される本なのかも知れない。
このような作品集からどこか一部を切りだすのは野暮かも知れないが、特に個人的に気に入ったものを挙げるとすれば、小山田浩子「コンサートホール」、松永美穂「たうぽ」、日和聡子「白いくつ」、西崎憲「病院島の黒犬。その後」、皆川博子「夕の光」あたりだろうか。いずれも、いわく言い難い分類不能の文章として、空前絶後の試みを締めくくるに相応しいものだった。

『エルサレム』ゴンサロ・M・タヴァレス 河出書房新社
木下眞穂訳。世界中で高い評価を受けるポルトガルの作家の代表作。著者が「悪のメカニズムの解析を試みた」という「王国」四部作の第三作目にあたる作品で、全篇が死と孤独、痛みと暴力に満ち溢れている。そして意識するしないには関係なく、登場する誰もが世界の不合理に苛まれつつ生きながらえている。
題名は旧約聖書の詩篇の一節、迫害を受けて漂泊を続けるユダヤの民が魂の故郷を思って告げたとされる、「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい」という言葉から取られているとのこと。ゲオルク・ローゼンベルク精神病院を核とした数奇な運命に翻弄されるミリアやヒンネルク、エルンスト、カース、テオドール達。彼らの届かぬ思いと剥き出しの暴力がぶつかり合うとき、悪とともにひとつの奇跡が現れることになる……。
これはすごい作家を読んでしまった。日本で言えば石川淳に匹敵する強さを持っているかも。言葉では直接指し示せないものを感じさせるのが文学の力だとすれば、本書はまさしく文学そのものという気がする。(それもとびきり残酷で美しい光景の。)ぜひともタヴァレスの他の作品も出版されんことを祈る。
ところで余談だが、本書の訳者である木下眞穂氏はペイショット『ガルヴェイアスの犬』で日本翻訳大賞を受賞された方だった。迂闊にも読み終わってから気が付いたのだが、道理で作品に間違いがないわけだ。あれもとんでもない作品だったものなあ。ポルトガル文学恐るべし。

『小鳥たち』アナ・マリア・マトゥー 東宣出版
宇野和美訳。 2010年にセルバンテス賞を受賞作した、二十世紀スペインを代表する作家のひとりということだが、恥ずかしながらこれまでまったく知らなかった。それもそのはず、これまで邦訳されたのは児童文学ニ作品を除くと単行本一冊しかないらしい。「リリカルで詩的なリアリズムに空想と幻想が美しく混じりあう」とのふれこみに惹かれて読んでみたが、期待にたがわず素晴らしい本だった。
本書は副題に「マトゥーテ短篇選」とあるように、彼女の著作のいくつかから、全部で二十一篇の掌篇を選んだ日本オリジナルの作品集となっている。〈はじめて出逢う世界のおはなし〉シリーズの一冊なのだけれど、正直いって子どもの頃に本書を読んだら、ある種のトラウマになったかも知れない。収録されているのは、そんな風につらくて哀しくて美しくて、そして心に沁みる物語ばかり。誤解を恐れずに言えば、イサク・ディネーセンの作品に近い香りがした。本邦では小川未明の童話に通じる残酷さを持つ。
どれも一読の価値があると思うが、そのなかでも特に気に入ったのを選ぶとすれば「小鳥たち」「メルキオール王」「島」「枯れ枝」「店の者たち」「月」あたりだろうか。とりわけ「島」や「月」で描かれる幻想の美しさは格別だ。


<既刊部門> ―古本・絶版とりまぜて今年自分が読んだ本―
『観念結晶大系』高原英理 書肆侃侃房
読み終えた瞬間、心に浮かんだのは「懐かしい」という言葉だった。50年ほど前ならまさしく「思弁小説(スペキュレイティブ・フィクション)」として読まれたかも知れない。山野浩一の作品のいい部分だけを集めたような観念の純粋さが美しい。第一部「物質の時代」は現代が舞台。どことも知れない世界の絵を描き続ける少年、シュルレアリスムの画家、ブルックナーの音楽に魅せられるピアニストらの消息と、死に彩られた鉱物的で硬く冷たい幻想は、澁澤龍彦『犬狼都市』や川又千秋『幻詩狩り』を連想するような読み心地だ。(もしかすると中原中也「一つのメルヘン」にも近いかも知れない。)鉱物の夢をめぐる、時代も国も超えた人々の運命から、やがて観念の世界がその輪郭を顕してくる過程は実にスリリングだ。
第二部「精神の時代」は打って変わって、『ヴンダーヴェルト』なる幻視の書が紹介される。これは第一部でその存在が示されたものだが、これなどまさに川又千秋『幻詩狩り』に登場する謎の詩篇「時の黄金」を思わせる。
内容はといえば、たむらしげるのイラストのような透明感がありつつ漆黒の闇を持つ、美しくも悲しい世界が描かれる。このあたりは宮澤賢治の詩や童話、ますむらひろしの漫画作品を思い出したりしながら、徐々に加速していく物語から最後まで目が離せなかった。を、愉しく読むことができた。
そして第三部「魂の時代」では再び現代世界が舞台に。「石化症」と呼ばれている謎の疾病を通じて、意識と時間に関する考察と、そしてその背後に潜む純粋思念の世界が徐々にその姿を顕してゆく。ラストはバラード『結晶世界』の行き着く先を描いたらこのようになるのではないかと思えるような、詩的想像力に溢れた美しさだった。
人々の想いなどすべて押し流してしまう冷徹さこそが、優れた幻想小説の必須要因であるとするならば、本書は間違いなくその筆頭に上がってくるだろう。そんな充実した読書時間だった。これは傑作。
(追記:澁澤龍彦をモデルにしたと思しき「紫峰朋彦」という著述家には思わず笑ってしまった。みんなアンビバレントな気持ちを抱えながらも、澁澤の影からは逃れられないのだ。

『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』キルメン・ウリベ 白水Uブックス
金子奈美訳。(同じ著者の「ムシェ 小さな英雄の物語』では、見事に第二回日本翻訳大賞を受賞されている方。)バスク語で書かれた文学として、スペイン国民小説賞を受賞した作品。著者が自分の家族や知人の生き様について語るモザイクのような断片が、なんとも心地よい。国書刊行会〈新しいマヤの文学〉を読んだ時にも感じたことだけど、話者の数が少ない言語だからといって、その人たちの生み出す文化がメジャーな言語のそれに比べて見劣りするわけではない。むしろ歴史的な背景と密接な関係を持っていたりして、作品として深みが増している気さえする。
本書はスペイン・バスク地方の都市ビルバオから、ニューヨークへと向かう旅のエピソードを縦軸に、そして漁師だった祖父と一族の思い出を辿るエピソードを横軸として綴られている。しかしはっきりしたストーリーは無いに等しく、著者がその時々に感じたことや、教科書には載らない人々の歴史が途中に挟み込まれ、枝分かれしてはまた合流して、さながら森の中を進む小径のようになっている。もっとも自分が知らないだけで、建築家リカルド・バスティダや画家のアウレリオ・アルテタと言った名前は、聞く人が聞けばすぐわかるのかも知れないが。
小説なのかエッセイなのかドキュメンタリーなのかよく分からないうえ、訳者あとがきにもあるように、現実と虚構のあいだをわざと曖昧にしてあるため、次にどこへ連れて行かれるのか予想もつかない。(まあ面白ければそんな区別なんてどうでもいいんだけれど。)それもそのはず、なんと本書は、『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』という小説をキルメン・ウリベという作家が書くまでを綴った小説なのだ。入子構造になった物語は万華鏡のように章が変わるたび違った光景を見せてくれるし、所々に差し込まれた詩や歌詞が色を添えてくれる。そして誠実な著者の探索と逍遙に付き合って愉しんでいるうち、やがて見えてくるのは、内戦やその後のフランコ独裁政権に翻弄されたバスクの人々の等身大の姿。そして最終ページを読み終わって本を閉じた時に思ったのは、「個を通じて普遍へと至る道」はまさしく本書においても健在ということだった。細かなエピソードの積み重ねの中に、一瞬の啓示が感じられる時がままあるが、それが何なのかは、おぼろげでよく分からない。しかしそれが日々の暮らしであり、人々の生きた証なのかも知れない。良い物語だと思う。
蛇足だが、20章 「ボストン」には、ハーヴァード大学の自然史博物館にある植物のガラス標本の話が出てくる。およそ50年かけて精密な植物標本を(なんと!)ガラス細工で作り上げたブラシュカ親子についてのエピソードで、知らなかったので検索してみたら本当に凄いものだった。本書にはこういう愉しみ方もある。

『百年と一日』柴崎友香 筑摩書房
27の独立した短い物語に、〈娘の話〉及び〈ファミリーツリー〉という、断続的に続く2つの物語を加え、ぜんぶで29の話が収録されている短文集。例えばひとつ目の物語は「一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業式して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話」と名付けられている。そして内容は、まさにその通りである。
また、こんな物語もある。「二階の窓から土手が眺められた川は台風の影響で増水して決壊しそうになったが、その家ができたころにはあたりには田畑しかなく、もっと昔のには人間も来なかった」―― まさにこの通りだ。
なんだろう、普段読んでいるような、というか、一般的に想像する「物語」のルールとは違う組み立てをされている感じ、とでもいえば良いだろうか。決して詰まらないとか読みにくいということはないが、ただいつもの調子で読んでいると、自分の足元が不意に消えてしまうような感覚を覚える。初めのうちは、上田秋成の『春雨物語』を読んだときのような寄る辺なさを感じたが、徐々にそれが続いていくにつれ、新しい何かを感じさせるものに変わっていった。最近読んだ作品の中でいちばん雰囲気が近いものを探すとすれば、西崎憲氏の『ヘディングはおもに頭で』あたりかも知れない。あるいは昔映画館で観た『コヤニスカッツィ』という映画か。
直接指し示めそうとすれば見えなくなってしまうもの。もしもそんなものを表そうとすれば、その輪郭を囲ってゆくことで、真ん中に残された空虚の形で示すしかないだろう。もしくは視界の影にふと横切らせるしかないだろう。そしてそれが出来るのが文学の力だとすれば、本書はとても力強い「文学」の宣言であるように思える。
はたして何を伝えようとしたのか、とても自分にはきちんと受け止められたとは思えないが、すくなくともそのひとつが「時の流れ」であり「継続」であるのは間違いない気がする。きっとこれからも棘のように、頭の片隅をちくちくと刺激し続けるに違いない。

『猫の客』平出隆 河出文庫
数年間だけ夫婦で暮らした借家を日々訪れてくれた隣家のチビ猫。愛おしい命の交流といくつかの別れを、静謐な美しい文章で綴った、まるで詩のような小説。フランスをはじめとする海外22カ国で翻訳されていて、各国でベストセラーになっているとのことだ。『葉書でドナルド・エヴァンズに』の解説でこの本のことを知り読んでみたのだが、これはいい本だった。この場所に住んでいたのはちょうど『葉書で…』の時期と重なるようで、友人の死やカナダ、ヨーロッパへの旅行のこともちらりと顔を出す。しかし中心にあるのはあくまでも、家での暮らしと四季の移り変わり、そして「客」として訪れる小さな猫との時間であり、それが故に後半の別れと新たな出会いが却って強く心に刻まれる。解説の末次エリザベート氏によれば、フランスではこの小説が一種の「俳句小説」として受け止められているとのこと。そう言われるとたしかに納得できるところはある。自分も最後のページを閉じた後、いつまでも余韻を味わっていた。この本が俳句になり得ているとすれば、それは全身全霊をもってこの世界に存在している猫たちのおかげであるといえるだろう。そしてこの本を読む者は著者と同様、この世に生かされていることを猫によって気付かされるのだ。忘れられない本がまた増えた。

『黒い玉』トーマス・オーウェン 東京創元社
加藤尚宏訳。副題は「十四の不気味な物語」。ベルギーの幻想怪奇作家による同題の短篇集から、恐怖色の強い作品を訳出したもの。(幻想味の強い残り十六篇は同じく東京創元社から出た『青い蛇』に収録されている。)
「恐怖」と書いたが、自分があまり小説で怖いと思ったことが無いせいか、たとえ主人公を凄惨な運命が襲っても、怖さよりは寧ろ切なさを強く感じてしまった。個人的な好みでいえば『青い蛇』の方が上と感じるが、本書も他の作家には無い独特の魅力を持っている。ひとつ10から20ページほどの短い話ばかりなので、さくさくと読めるのもいい。特に気に入ったのを挙げるとすれば「雨の中の娘」「父と娘」「黒い玉」「鼠のカヴァール」あたりだろうか。現実世界に疲れて心がざわざわした時にでも読みたい本だ。

『短歌タイムカプセル』東直子/佐藤弓生/千葉聡・編著 書肆侃侃房
「一千年後に残したいと思う現代短歌を一冊のアンソロジーにまとめよう」というコンセプトで、戦後から2015年までに歌集を発表した人の中から115人を選び、代表作二十首と、さらにそのなかから一首を選んで鑑賞文を附したもの。収録はあいうえお順なので、新旧の歌人が入り交じって出てきておもしろい。
短歌には詳しくないため知らない人が殆どで、ひとりひとり鑑賞しながら自分の好みに合う歌とその作者を控えつつ読んでいたため、予想以上に時間がかかった。
当然ながら良い歌が目白押しなので、いちいち書き出していくとキリがない。そこで以下、特に気に入ったものをいくつかピックアップしてみたい。いやあ、好かった。
〈岡野大嗣〉   もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい
〈小島ゆかり〉  なにゆゑに自販機となり夜の街に立つてゐるのか使徒十二人
〈塚本邦雄〉   夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが
〈寺山修司〉   マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
〈早川志織〉   指さして子にものの名を言うときはそこにあるものみなうつくしき
〈フラワーしげる〉あなたが月とよんでいるものはここでは少年とよばれている
〈松村由利子〉  チューリップあっけらかんと明るくてごはんを食べるだけの恋ある

『きらめく共和国』アンドレス・バルバ 東京創元社
宇野和美訳。2017年に刊行され、スペインのエラルデ小説賞を受賞した傑作中篇。亜熱帯の町サンクリストバルに突如どこからともなく現れた三十ニ人の子どもたち。かれらは理解不能な言葉で会話し、人を襲い物を盗み、そして死んだ。その顛末を二十二年後に書いた回想記の形をとっていて、最初は何が起こっているのか解らないまま、子どもたちの存在自体がひとつの謎として描かれていく。「謎の提示とその解決」という意味では広義のミステリと呼べなくもないが、そう言ってしまうとJ・G・バラードの『殺す』や『コカイン・ナイト』もミステリということになってしまうのでよろしくないか。(かと言って、あれらの作品は創元SF文庫から出ているといってSFというわけでもないが。)あらかじめ決められた結末に向かって突き進んでいく構成は、なんとなくガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』を連想した。
敢えて分類するなら、いわゆる〈世界文学〉ということになるのだろう。妙な緊迫感に満ちた展開はエリック・マコーマックやスティーヴン・ミルハウザーにも似たことろがあるが、あそこまで冷めてはおらずある種の熱気がある。むしろポルトガルのジョゼ・ルイス ・ペイショットによる『ガルヴェイアスの犬』に近い感動をおぼえた。してみると、これは中南米の魔術的リアリズムへとつながる〈ラテン文学〉に共通する香りなのかも知れない。
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2021年12月の読了本

12月は計11冊。最後にちょっと失速したけどおもしろい小説がそこそこ読めたので満足。

『ロボットには尻尾がない』ヘンリー・カットナー 竹書房文庫
山田順子訳。1940年代を中心に活躍した多才な作家による、酔っ払い発明家ギャロウェイ・ギャラガーを主人公にした全5篇を完全収録した短篇集。これまで色々なアンソロジーや作品集にばらばらと収録されてきたものが新訳され、さらに本邦初訳の「エクス・マキナ」まで入るとあって、カットナーファンとしては期待せざるを得なかったが、期待に違わずとても愉しい一冊だった。
自分がSFを読み始めた中学生の頃に夢中になった作家にはフレドリック・ブラウンやロバート・シェクリイなどがいるが、このヘンリー・カットナーもそのうちの一人だった。いずれの作家にも共通するのは、ウィットとユーモアに富んだ短篇の名手だということ。まさしく「たのしいSF」とはこういうものを指すのだと思う。(レムやバラードといった「すごいSF」や、ベイリーやウルフらのような「かっこいいSF」とはまた一味違った、知的娯楽としてのひとつのモデルがここにはある。)
この頃の短篇SFには、冒頭に謎が提示され、ラストで合理的な解決が示されるというひとつの様式美のようなもの(といって支障があるならモデルと言い換えてもいい)があって、それがSFをある種、ミステリの隣接ジャンルに思わせていた理由ではないかと思っている。星新一の初期のショートショートにも同じ構造のものが多いのではないか。本書に収録された5篇もすべて同様で、このまま〈ギャロウェイ・ギャラガー〉を十も二十も続けていくわけにもいかないだろうが、本書は解説まで含めておよそ370ページと適度な分量で、最後までとても愉しく読むことができた。どの作品も奇天烈なトラブルが面白くて甲乙つけ難いのだが、SF史に残る「厭なロボット」のジョーが初登場する「うぬぼれロボット」が特に印象に残った。版元にはこれからもこういった過去の名作SFをどんどん紹介してもらいたいものだ。

『M・P・デア怪奇短編集』 翻訳ペンギン
伊東晶子訳。1947年に出版された作品集『Unholy Relics(非聖遺物)』から六篇を選んで翻訳した本で、うち二篇は同人誌『翻訳編吟』に掲載されたもの。本書も商業出版ではなく同人出版だ。そもそも「M・P・デア」という作家の名前を知らなかったのだが、生前もそれほど評価された人ではないようだ。知る人ぞ知る、といった感じだろうか。雰囲気はいかにも19世紀の怪奇小説風にしたててあり、全作品ともグレゴリー・ウェインという青年が語り手。友人で自分と同じく歴史学者のアラン・グランヴィルと荘園屋敷を共同購入して召使い達と一緒に住んでいる。そんな彼等があちこちで霊(思念体)による超常現象と出会った顛末が描かれている。「えっ、これで終わっちゃうの?」という展開も含め、予想以上に愉しむことができた。収録作の中では表題作と「知られざるイタリア人」、それに最後の「悪魔の山羊」が気に入った。(あらすじを書くと結構そのままネタバレになりそうな話が多いので書かない。)こういう本が翻訳され、セミプロ出版で気軽に入手できるのだから、いい時代になったものだ。

『銀河忍法帖』山田風太郎 角川文庫
徳川家康の寵臣として絶対的権力をふるう大久保長安。彼の生命を狙う謎の女・お朱鷺と、ひょんなことから同行することになった荒くれ者・六文銭は、長安が君臨する佐渡島へと潜入する。伊賀忍者五人や、最新科学兵器を駆使する長安の愛妾五人との死闘の結末は……。
山田風太郎の忍法帖の主人公には、『伊賀忍法帖』の笛吹城太郎のように過去を背負った陰のタイプと、柳生十兵衛のような陽のタイプがいる。どちらもおもしろさに変わりはないが、十兵衛タイプの方があっけらかんとしていて、物語として爽快感が味わえるところが、どちらかといえば暗い主人公の話よりも気に入っている。本書の主人公である六文銭はというと、典型的な後者のタイプ。絶体絶命の危機に陥っても妙な安心感がある。一方で敵方の伊賀忍者などは、もう最初から消耗要員というか、死亡フラグが立っている感がある。
〈忍法帖〉シリーズはどれも、主要な登場人物たちに人間としての尊厳は無い。徹底的に辱められ、時代や社会の道具、駒として使われて死んでゆく。そんな中で、一人の無頼漢が自分を貫き通すというパターンが多い。作者によって死ぬべきと運命づけられた者はあっけなく次々と死んでいく。どれほどの修練を積んでいても、才能があっても、地位が高くても同じこと。一方で死なない者は絶対に死なない。どんなに危機的状況に陥っても、無傷で切り抜けてけろっとしていたりする。
痛快なエンタメ小説として消費すればいいのだろうけれど、どうしても『戦中派不戦日記』を記した著者の体験が反映されているのだろうという思いが浮かんでしまう。最後に本書の題名について。「銀河」とは松尾芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」にちなんでつけられたものかと想像していたが、雑誌連載時の題名は『天の川を斬る』だったそうだ。最終章に出てくる言葉によってこの名前のもつ意味が判明し、同時に六文銭とお朱鷺の運命も明らかになる。それを良しとするか気に入らないと思うかは人それぞれだろうけれども、「幻の作品」にしてしまうはもったいない出来と感じた。

『脳科学者の母が、認知症になる』恩蔵絢子 河出文庫
脳科学者である著者の母親が2016年にアルツハイマー型認知症と診断されてから、その後の二年半に感じたことを綴り、そしてなぜ認知症の人はそのように振る舞うのかについて、脳科学の観点から解釈を試みた本。
読んでいるうち、私自身の母親が脳血管性認知症と診断されてのちも、しばらくの間、進行性核状性麻痺を患っていた父親と実家で暮らしていた時のことが次々と思い出されてきた。
例えば母から突然緊迫した声で「家に知らない男がいた」と電話がかかってきたこと。(後で、それは父親のことだということが判った。)あるいは、洗剤を入れずに洗濯機を回し、丸めたまま服を干していたこと。あるいは小銭の勘定が出来ずに買い物を全て紙幣で済ますので、気がついたら財布の中が小銭でいっぱいだったこと……。
本書にも書かれているが、母親が「出来ないこと」が増えていき、自分の子どもの顔も判別できなくなった時など、大きなショックを受けた。しかし、我が家の場合、どんな風になっても「そのときが快適で穏やかに過ごせること」を心がけるようにした結果、これまで本人が我慢してきたこと、遠慮していたことが少しずつこそげ落ちていき、しかめ面の代わりに本来の明るくよく笑う社交的な性格が表に出てきたことで克服することが出来た。(現在は施設で穏やかに暮らしている。)そういう意味で、本書は自分にとっては、「そうそう」と首肯することばかりの内容だった。
「どれほど脳が萎縮しても、何がわからなくなっても、幸せに暮らすために、脳は努力するもので、その過程は十分、尊重されるべき『その人』なのではないだろうか?」「私は、若く、元気な『良い時』だけでなく、最初から最後までを含めて『母』という存在を見つめることを知ったのかもしれない」これらの言葉に、本書で著者が言いたいことが集約されているように思う。
最後の第五章では「感情こそ知性である」と題して、アントニオ・ダマシオの「ソマティック・マーカー仮説」や、ハワード・ガードナーが提唱した「多重知能理論」が紹介される。(後者は知らなかったのでおもしろかった。)「多重知能理論」によると、我々が「知性」と認めている「言語的知性」「論理数学的知性」の他に、少なくとも六個は「知性」と呼んで良いものがあるらしい。それは「音楽的知性」「身体運動的知性」「空間的知性」「対人的知性」「内省的知性」「博物的知性」の六つ。感情が理性のもとになるということは、認知症によって記憶や目の前で起きていることの理解や判断がうまく出来なくなっても、感情を司る脳の部位が正常であれば、それに基づく生活を送ることはできるということ。すなわち、幸せを感じたり怒ったりと言った「その人らしさ」は残るということだ。
認知症になったからと言って「終わり」では無いということが、分かりやすく示されていて、実際に認知症を抱える家族だけでなく、あらゆる人に読んでもらえる/もらいたい本になっているのではないだろうか。

『きらめく共和国』アンドレス・バルバ 東京創元社
宇野和美訳。2017年に刊行され、スペインのエラルデ小説賞を受賞した傑作中篇。亜熱帯の町サンクリストバルに突如どこからともなく現れた三十ニ人の子どもたち。かれらは理解不能な言葉で会話し、人を襲い物を盗み、そして死んだ。その顛末を二十二年後に書いた回想記の形をとっていて、最初は何が起こっているのか解らないまま、子どもたちの存在自体がひとつの謎として描かれていく。「謎の提示とその解決」という意味では広義のミステリと呼べなくもないが、そう言ってしまうとJ・G・バラードの『殺す』や『コカイン・ナイト』もミステリということになってしまうのでよろしくないか。(かと言って、あれらの作品は創元SF文庫から出ているといってSFというわけでもないが。)あらかじめ決められた結末に向かって突き進んでいく構成は、なんとなくガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』を連想した。
敢えて分類するなら、いわゆる〈世界文学〉ということになるのだろう。妙な緊迫感に満ちた展開はエリック・マコーマックやスティーヴン・ミルハウザーにも似たことろがあるが、あそこまで冷めてはおらずある種の熱気がある。むしろポルトガルのジョゼ・ルイス ・ペイショットによる『ガルヴェイアスの犬』に近い感動をおぼえた。してみると、これは中南米の魔術的リアリズムへとつながる〈ラテン文学〉に共通する香りなのかも知れない。
本書を読むきっかけは、グアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』やアナ・マリア・マトゥー『小鳥たち』がとてもおもしろかったこと。二作品の訳者である宇野和美氏が他に手掛けられた作品が無いかと思ったら、昨年の11月に出ていたのを知った。(というか、東京創元社なのに見逃していた。)刊行時に読んでいたら、絶対に個人的年間ベストのひとつに入れていたと思う。一年遅れになってしまったけれど、今年の年間ベストに入れる作品が読めたことを素直によろこびたい。

『死まで139歩』ポール・アルテ ハヤカワ・ミステリ
フランスが誇る(?)本格ミステリの雄、ポール・アルテの傑作と名高い作品がやっと出た。殊能センセーが絶賛してやまなかった本作が読める日をどれだけ待ったことか。そして今の時代に、このような(いい意味でも変な意味でも)時代錯誤な小説が読めたことに、この上ない喜びを感じた。(たとえるなら、横溝正史『鬼火』や江戸川乱歩『パノラマ島奇談』が新作として発表されるようなものかも?)法月綸太郎氏による解説も、そのあたりの気持ちをくんだものになっていて最高である。
法学士ネヴィル・リチャードソンがロンドンの夜に出会った謎の女性と「しゃがれ声」の男をめぐるサスペンス。靴収集狂の老人の死後、五年間にわたり封印されていた密室の館で発見された謎の死体。そして名探偵ツイスト博士による「密室講義」と意外な犯人、物理トリックにこだわった密室と、靴収集の意外な理由が明かされるラストまで飽きさせない。
アルテのようなタイプのミステリに対しては、読者の好き嫌いがはっきり分かれる気がする。それはストーリーはもちろんのこと、登場するキャラクターや彼らの言動など、あらゆる要素が「パズルとしてのミステリ」を作り上げることだけに使役されているからではないだろうか。でも小説が提供できる他の価値の追求には一切目をつぶって、ただひたすらパズルとしての完成度を求める姿は、いっそ清々しくもある。心情とか相克とかクソ喰らえと言いたくなるほどだ。そういうのも好きだから言わないけど。
それにしても、今年読んだ新作ミステリがアレックス・パヴェージ『第八の探偵』と知念実希人『硝子の塔の殺人』ぐらいしか無いというのも、自分の趣味もたいがい偏っている気がする。本作が年の最後に読めて良かった。

『裏世界ピクニック 7』宮澤伊織 ハヤカワ文庫
実話怪談やネットロアを元にした異世界探索のシリーズの第七弾。前回は"百合"をメインテーマに据えた小休止のエピソードだったのでちょっと肩透かしだったが、本巻ではついに最凶・最悪の存在たる「閏間冴月(うるまさつき)」との直接対決となる。
ディクスン・カーのミステリ作品で、登場人物がミステリにおける密室についての講義を行うものがあるが、本書では実話怪談を文化人類学の枠組みで捉える「実話怪談講義」があって、文化人類学好きな自分としてはかなり愉しめた。シリーズのひとつの節目となるエピソードのような気がするので、これからどちらの方に向かっていくのか、次の展開が気になるところだ。(ピアズ・アンソニイの〈魔法の国ザンス〉シリーズのようにならなきゃいいけど。)

『火守』劉慈欣 KADOKAWA
池澤春菜訳/西村ツチカ絵。〈三体〉シリーズの著者による児童向けのファンタジーとのこと。ネットでは絵本という紹介も見かけたが、物語は日本でいう児童書のカテゴリーである「絵本」とは違い、どちらかというとヤングアダルト向け。ここは敢えて「絵物語」と呼ばせてもらいたい。
物語は東の孤島を訪れた少年と、その島で「火守」の仕事を続ける老人の暮らしぶりを中心に進んでいく。読んだ印象としては、たむらしげるの『銀河の魚』と『フープ博士の月への旅』を足して二で割ったような感じか。透明感があって静かな世界が気持ちいい。ハードカバーだけれど小ぶりで片手にすっぽりと収まるほどのサイズ。装丁もとても愛らしい。西村ツチカ氏の美しい絵も柔らかい訳文に合っていて、かつ視覚的説明の多い物語の理解を的確な描写で補ってくれる。年齢を問わずお薦めできる愛蔵本といえるかと思う。

『おばちゃんたちのいるところ』松田青子 中公文庫
世界幻想文学大賞の短篇集部門を受賞した連作集。民話や落語、怪談に泉鏡花の戯曲まで、様々な古典をモチーフにした物語が十七篇収録されている。半分くらいは元になった話を知らないのだけれど、残りを読む限りでは登場人物が共通しているぐらいで、どれもが似ても似つかぬものになっているようだ。
最初のあたりはたしかに裏表紙の説明にあるように、おばちゃん〈幽霊〉たちが出てきて現代社会のしがらみを吹き飛ばしてくれる話だが、四番目の「悋気(りんき)しい」からは、そのような枠さえ吹き飛ばす自由奔放な物語が展開する。これは愉しい。
著者の本は『スタッキング可能』を読んで気に入り、『持続可能な魂の利用』で感激してひっくり返ったのだけれど、どれも社会における男だの女だのといった役割に異議申し立てをする、すかっとしたところが好い。本書も一部には共通するところはあるけれども、もっと広い「窮屈さ」へのシュプレヒコールとなっていて、さらにユーモアと幻想味が強まっている。世界幻想文学大賞を獲ったというのもなんとなく理解できる気がする。それぞれの話は独立しているが、「汀(みぎわ)さん」や「姫川茂」「我が社」など、あちこちに共通するモチーフが出てきて物語全体に奥行きを持たせている。収録作で特に気に入ったのは、「ひなちゃん」「クズハの一生」「チーム・更科」「下りない」あたりだけれど、他の話も微妙に絡み合っていて、短いのに重層的に愉しめる。なんとまあ贅沢な作りの本だろうか。

『空白の起点』笹沢佐保 徳間文庫
〈有栖川有栖選 必読!Selection〉シリーズの二冊目で、著者のミステリ作品の中でも代表作とされるものという触れ込みに惹かれて読んでみた。結果、一読していろんな意味で「なるほどなあ」と納得がいった。
通過する列車の中で、崖の上から人が突き落とされるのが目撃される。しかもその目撃者は、被害者である男の娘だった……。交叉するその一瞬に仕掛けられたトリックと意外な犯人。まさしく新本格ムーブメントの立役者の一人が推薦するだけはある。パズルとしてのミステリの視点で本書をみる限り、たしかに「なるほど」というほかは無い。ただ、自分が今のこの時代にこの物語を手に取ったことで、否応無しにまた別の視点を突きつけられた気がした。
本書はひと言でいってしまえば、保険調査員を主人公にした、保険金殺人疑惑をめぐるミステリだ。当然ながらどろどろした人間関係が描かれる他、突然、取ってつけたようなロマンスもあったりして、今読むとかなり1961年という「時代」を感じる。前に小松左京『日本沈没』を数十年ぶりに読み返したときにも感じたことだが、昔の小説を読む際に邪魔になるのは、科学技術の落差や小道具の古さなどではなく、登場人物の価値観であったり、あるいは作者と読者の間で暗黙のうちに共有されている社会通念だったりするのだ。そして本書で自分がいちばん引っ掛かるとともに、むしろおもしろがって読んでいたのもまさにそういう部分だった。
物語が進むにつれ、徐々に明らかになっていく人々の「情念」。かつての自分はそういったものが苦手でSFに走ったのではなかっただろうか。もしくはバラードやレムの論理性、ディックの不条理に惹かれたのではなかっただろうか。そう考えたとき、著者は小説が巧すぎるが故に、よって天知茂や船越英一郎的なものでこれだけの物語を作り上げられるが故に、自分としてはその出来栄えに敢えて異議を申し立てたい。もはやこういった物語を手放しで愉しめる時代は過ぎてしまったのだと。たぶん。

『特講 私にとって文学部とは何か』酒井健 景文館書店
著者は法政大学の文学部で教鞭をとる、フランス文学や思想史や美術史家の研究者。この人の書くゴシックやバタイユの本が好きで、カバーに「目に見えないものへの追求心」「哲学科教員の人文エッセイ」と書かれた本書を店頭で見かけたとき、迷わず手に取りレジへと向かった。(それにしても景文館書店の本はなんでどれも欲しくなるんだろうね。)
内容は著者の「内的経験」とでも呼ぶべきもので、三つのテーマ別の文章を序章と終章で挟み込んだ構成になっている。まず序章は「遠方のパトスのために」と題され、自らが行う哲学科の授業の様子を通じて、酒井氏がこだわり続ける「遠方のパトス」への思いを表明。ちなみに著者はバタイユの共同体構想(組織も党派も国籍も時代も問わず、パトス/情念への友愛があれば、誰にでも開かれて見える無限定の共同体)を「文学共和国」と呼んでいる。そして、いつも遠くに見え、泳いでいきたいと思いを募られようとも、どれほど泳いでもたどり着けない遥かなる岸辺、それが「遠方のパトス」なのだそうだ。
第一部は圧巻の「私の心に残る十五のテクスト」。バタイユや漱石、ヘミングウェイから三島由紀夫、ニーチェまで十五の本の引用と解説で、ある時には衝撃を与え、またある時には支え導いてきたあつい想いが綴られている。ついで第二章は「文学共和国」、第三章は「愛の国へ」と題し、それぞれをテーマとした文章となっているが、とりわけ第三章はバタイユからベルル、プルーストにフーコー、ニーチェといった様々な思想家たちの言葉を逍遥しつつ「愛」について文学部的な考察がなされており、個人的にはかなりツボだった。最後の終章ではシオランやニーチェらを例にペシミズムについて述べつつ、生というものの重みと「知」に至る階梯としての文学部へと回帰する。
結局のところ著者にとっての文学部とは、教育機関として人材育成の使命を負い、人間と社会にとって有益な場でありながら、しかしまた「それだけ」ではないことが本質的に寿がれるべき場所なのだそうだ。それは、ワインの貯蔵や輸送に使われる実用品でありながら、表面には必要以上に装飾が施されている「ディオニュソスの酒甕」。すなわち余剰にこそ価値を見出されるべき存在であると酒井氏は述べる。
工学部を専攻していた自分にとって、本書に書かれているような学部の雰囲気は知る由もないが、一種の憧れでもある。一度でいいから体験してみたかった。きっと「それだけ」ではない豊かな人生が送れたのではないかという気がする。まあ本書のようなものを読むことで、気持ちぐらいは豊かになれるわけだが。

昨夜みた夢 2021年(第374夜~第382夜)

2021年最後の「昨日みた夢」です。平均するとおよそ3日に一度。夢を見ても憶えていないことが多いですが、それでもそこそこ書き留められました。来年はどんな夢をみるのかな。こわい夢じゃないといいけど。


《師走》

【第382夜】
いよいよ蜂起する時がきた。銃を抱えて廃墟の中を進むと、バナーが目の前に展開する。拡張現実の技術だ。画面には「予備の品(5万円相当)差し上げます」と書いてある。イオンが備蓄品を放出するようだ。どうせ古くなった銃弾とかだろう。

【第381夜】
実家にいる。車庫にモーターサイクルがあるのを見つけて乗ろうとするが、動かし方が分からない。なんとか走り出してのろのろと住宅街を進む。小さな子どもたちが駆け回っていて轢きそうになる。危なくて仕方ないので戻ろうとすると、いつの間にか違う道にいる。実家がどこか分からない。

【第380夜】
ギリシアのテーバイで大学祭。有志による出し物は、新入生が企画した巨大ピンボールが社長賞をもらった。デモンストレーションを見ても、そんなに良い出来と思えなかったが所詮あそびだし。
立食パーティに少し遅れたら、料理がほとんどなくなっている。デザートぐらいは食べたかった。

【第379夜】
中世の闘技場の遺構に、巨人が連れて来られる。人喰い鬼だ。まだ放心状態だが、危ないので対角線上に隠れながら移動する。町の人はパンケーキの話をしながら近寄っていくが、マイクが話を拾ってしまうので危険だ。注意するが何のことか解っていない。いつ巨人が起きても不思議ではない。

【第378夜】
バスで帰る途中、窓から花火が見えた。親戚が遊びに来ているので、食事をしてから行くことにする。入った中華飯店で、後ろの女子高生が友人に「あなたのドッペルゲンガーは格好悪い」と言う声がする。電荷がマイナスなのだとか。自分はタウ粒子だから大丈夫だとも。そんな占いあるのか。

【第377夜】
出張で東北の地に向かう。ひと仕事終えると、旅館の大広間で慰労会があるらしい。仲居さんが料理をテーブルに並べているが、人数分に足りないのですぐ食べてしまう。
トイレに行こうと案内に沿って進むと鍾乳洞に着く。でも今日は日帰りなので、新幹線で帰らなくてはならない。

【第376夜】
古本屋の前の広場。看板にはラッコの専門書店と書いてある。富士山の測候所が光の加減ですぐ間近に見える。山頂はもう氷点下50℃のようだ。
細長い板の上で行われる相撲が町の名物。しかし地元の老人が自転車で会場にくる途中、怪我をして不戦敗となり、今年は中止になった。残念だ。

【第375夜】
江戸時代。巨大な旅館の廊下を走る競技。上位入賞すると大切なものがもらえるので、皆、目が血走っている。
スタート地点の扉は閉まっていて、床に印が貼ってある。予選6位までは特別タイムがもらえる。一位と二位の差は30秒。笛の音と同時に一位の自分は扉を開けて廊下へと走り出す。

【第374夜】
高速道路が渋滞している。橋の上には高さや車幅を制限する鉄骨が立っているが、自転車なので狭いところも進んでいける。金属の階段を降りるとダムの坑道に出た。縁日の屋台が出ていて、無料でボールすくいができる。慰安旅行だからか。周りの話を聞いていると、今夜は高崎に泊まるようだ。

昨夜みた夢 2021年(第358夜~第373夜)

11月にみた夢です。今月はやたら芸能人の夢をみました。


《霜月》

【第373夜】
金沢の家には部屋の中央にガス給湯器が置いてある。知久寿燒が部品から組み立てたものだ。彼は「こんなものはただの給湯器。何の価値もない」というが、工場で組み立てたのではなく、家でいちから組み立てたことに意味がある。ファンにとっては貴重な品だと反論する。満更でもなさそうだ。

【第372夜】
その家では当主の父親と16歳の息子が反目しあっている。猫は片足立ちで全ての爪を伸ばし、母親と娘はその様子をじっと見ている。
午後から会議があるので、それを報告書にまとめていたら出掛ける時間になった。靴が見つからない。16.5のサイズは小さ過ぎるし、37.4では明らかに大きい。

【第371夜】
小学生の一日の様子をシミュレーションするプログラムがある。枠がひとつ余っているので自分もやらせてもらうが、周りで見ているので少し恥ずかしい。体育が終わってから帰宅する。古本屋に行く時間の余裕がない。

【第370夜】
赤はあぶないが、白なら大丈夫。壁に掛かった上着の背中に文字が浮かびあがるので、その色をみて判断する。

【第369夜】
SFイベントに参加する。互いに結婚と離婚を6回繰り返したカップルを紹介される。今は結婚している状態だそうだ。そのことについて話すときには、「結婚と離婚を」という風にカギ括弧を付けなければいけないらしい。SFファンにありがちなこだわり。

【第368夜】
朝礼用の原稿をチェックする。「紅勿」についての話だけれど、テレビを観ていない人には何のことか分からない。そのことを後輩社員に伝えると、「なるほど、知らないことが悪い訳ではない、というトーンで話します」と言っていた。そろそろ晩ご飯の時間だ。

【第367夜】
「サバ調はやばい」というメモがある。

【第366夜】
巨大な赤十字病院のバウンティハンター。血液検査から逃走していた者を捕まえて引き渡す。仕事を終えて郊外から帰るとラッシュに巻き込まれる。二日前に見たのと同じ車が前方にいる。手慣れた感じ渋滞を抜けていく。あのドライバーも名古屋に帰るのだろう。踏切を越えたらもうすぐ病院だ。

【第365夜】
勝呂誉が『怪奇大作戦』の撮影時の思い出を語る。本物の魔女はアメリカ西海岸には殆どいなくなってしまった。でもなんとか撮影しなければいけない。仕方なく、それらしい人をでっち上げたらしい。当時の合言葉は「約束があるから」。

【第364夜】
人面魚にされてしまったと噂の歌手が、雑貨屋の店頭で売られていた。本物だろうか。テレビモニターでは現役当時のビデオが流れ続けているが、濁った水槽の中は何も見えない。監査役が来たので教えてあげる。ほら、例のあれですよ。ほう、これが例の……。あまり詳しくは知らないようだ。

【第363夜】
打ち上げした店の横の畑にパセリが植えてあった。少しちぎって自転車で持ち帰る。黒猫も抱えているので大変。前方を走るおばさんが邪魔でパセリを側溝に落としてしまう。猫を抱えたままではしゃがめないので、鞄に入れて蓋をする。にゃあにゃあと怒っている。拾い上げるとタラの芽だった。

【第362夜】
天狗にインタビューする。精霊の一種とのことで、RPGで次のターンを知らせるのが今の仕事だそう。集中している時に音を立てると文句が出るので、神経を使う仕事だそうだ。試験会場に大きな目覚まし時計を持ち込んでいるが、微かにチンという音しか出さない。プロの技だ。

【第361夜】
オリンピックの係になる。基本はオンラインだけれど、せっかくだから期間中に一度ぐらい東京に行ってみたい気もする。競技会場はどうでもいいが、神保町には行けるかな。ダメ元で申請してみようかというと、同僚が嬉しそうだ。

【第360夜】
東北の藩主には蘭方医を雇う金も無い。あくまでボランティアの医師が生意気な口をきく。花柄の回転式拳銃とスニッカーズを両手に持っているが、慣性があるので思うように動かせない。

【第359夜】
玄関から猫が脱走した。慌てて追いかけると他所の猫がいて、二匹で家の中にかけ戻る。野良猫らしく汚れているので外に出すと、他にも三匹ほどいる。ふと横をみると網戸が開いて部屋には蜂が何匹も。殺虫剤を取ってくると、今度は小さな影が二匹。仔猫だ。いったいどうなっているのか。

【第358夜】
長期の出張で久しぶりの出勤の朝。普段と違う道を車で走っていると、20センチほどのペンギンがいくつも立っている。人形かと思ったら羽繕いした。本物だ。そういえば町おこしでペンギンを飼いはじめたとか。どうやら野良になりつつある。生態系を乱すからやめた方がいいのに。

2021年11月の読了本

今月は古本市があちこちで開催された関係で、蔵書がまた積み上がってしまった。一生懸命読まなければ。(気になる新刊もたくさんでるんだよなあ。)

『銀鼎・続銀鼎』泉鏡花 泉鏡花記念館オリジナル文庫
オリジナル文庫もこれで第五集となり、今回は「文壇の〝衛生家〟の面影を伝える佳品集」との説明がある。三十歳の頃に赤痢に罹って以来、加熱しない生の食材を絶対に口にしなかった鏡花のこと、「衛生」といっても結果的には食に関する記述がある作品が多く収録されている。
最初の二篇「左の窓」と「大阪まで」は、東海道線の電車の旅による今風「弥次喜多道中」。解説によれば喜多八は鏡花、弥次郎兵衛は弟の豊春であるらしい。どちらも内田百閒『阿房列車」のような気楽さがある。続く「湯どうふ」では豆腐を"豆府"と書くのがいかにも衛生面に煩い鏡花らしい。この「湯どうふ」と、その後の「真夏の梅」「熱い茶」はいずれも随筆ないし談話の書き起こしで、いわば鏡花の生の声だ。そして「銀鼎」「続銀鼎」で列車旅と食を描く。(今回は「食」とともに「旅」もテーマであるようだ。)これらの表題作は「春昼/春昼後刻」みたいな続きものだけど、前半の旅情とユーモアから、後半の食の艶かしさと美しい風景描写、そして刹那に閃く怪。順礼(巡礼)の薄気味悪さがさらにムードを盛り上げる。これは好い。そして最後の中篇「卵塔場の天女」。こちらは金沢の地を訪れた能楽師の顛末を学校教授の目で綴った物語。芸事と雪国の因習と自由な生き様が三つ巴になって能舞台を駆け抜ける名品。近江町市場と思しき界隈の魚介類や加賀百万石の料理の数々の描写が実に見事。不意に現れる福助の不気味さといったらない。前半の気楽な掌篇から後半のたたみかけるような力作まで、よくバランスのとれたセレクトで、たっぷり愉しむことができた。
それにしても、なんで鏡花はこんなに好いんだろう。まさしく日本文学界で唯一無二だな。

『社会学的想像力』C・ライト・ミルズ ちくま学芸文庫
伊奈正人/中村好孝訳。1962年にわずか45歳で亡くなった著者が1959年に書いた、「20世紀社会学の古典的名著」とされている本の新訳だそうだ。
恥ずかしながら社会学に対して「社会の仕組みや成り立ちについて研究する学問」という程度の理解しかしていなかったので、文章中に「社会学」と「社会科学」という二つの言葉が混在しているのに戸惑ってしまった。著者はこの二つの言葉を厳密に使い分けているので、本書を読む際にはその点に注意しないとちょっと混乱するかも。
一応、念のために書いておくと、著者の言う「社会科学」とは経済学や法律学、政治学、人類学などのことで、社会の仕組みに関して論理的に研究を施すもの。「自然科学」に対置されるものと思えばなんとなく当たってる感じ。それに対して「社会学」はもっと人間寄りで、社会における人と人との関係性に焦点を当てた学問のこと。だから法律学とは別に「法社会学」などという分類が存在するらしい。後者は法律の在り方が社会において人間にどのような影響を与えるかを調べる、みたいな感じになるのだろうか。
本書執筆当時は東西冷戦の真っ只中であり、社会には様々な矛盾や軋轢が生じていた。そんな中で多くの社会科学者たちは、抽象的な概念体系の構築に耽溺したり、或いは思索のない統計調査に明け暮れるなど、「理性と自由が人類の歴史を作り得る」という人類史の中でも卓越した時代において自らの責務を放棄していると著者はみている。
ミルズの主張は明確だ。「社会学的想像力により、歴史と個人史とを、さらには社会のなかでの両者の関わりを洞察することが可能になる。それが社会学的想像力の責務であり約束なのだ。(中略)個人史と歴史、そして社会における両者の交差という問題に立ち戻ることなくして、社会をめぐる研究はその知的冒険を全うすることはできない。」すなわち彼によれば、私的問題を公的問題へと翻訳し、公的問題を多様な諸個人にとっての人間的に意味の観点へと翻訳し続けるのが(リベラルな教育者としての)社会科学者の政治的使命であり、そしてそれを実現できるのが「社会学的想像力」なのだ。
そして社会科学者たちの知的・政治的な怠慢を徹底的に批判・糾弾していくのだが、歯に絹着せぬものいいがあまりにも激しいので、読んでいていっそ清々しいほど。こんなにアツい本だとは思わなかった。

『古本買いまくり漫遊記』北原尚彦 本の雑誌社
元は「本の雑誌」に不定期連載されたものに、大幅に加筆・訂正した上で書下ろしの章を加えたもの。内容は題名そのまんまで、色々な土地を回ってただひたすら古本屋で本を買った記録が綴られる。SFとミステリに造詣が深く、且つ名だたるシャーロキアンの著者だけあっていずれも濃い、というかまともじゃ無い(褒めてます)著者の買いっぷりが、可笑しくもまた清々しい。いくつかの章では本棚探偵・喜国雅彦氏も同行するという豪華版になっている。(古本マニアとしてもミステリオタクとしても、いずれにしても面白い。)前半は国内篇で、所沢市に始まり越谷市から山梨県は甲府市、さらに茨城、群馬、新潟、岡山、北海道は札幌まで、九つの古本ツアーの記録が描かれる。後半はなんと海外篇で、マレーシアにサイパン、ベルギーとオランダ、そして英国はヘイ・オン・ワイの古本村まで、文字通り世界中を駆け回って非売品の本や怪しい本やマニアックな本を買いまくる。ただ行った本屋の名前と買った本のことが羅列してあるだけなのに、なんでこんなにおもしろいのだろう。(「本好きアルアル」ではある。)昨日、一昨日と二日続けて市内で開催していた古本まつりに行ったばかりなのに、本書を読んでいたらまた行きたくなってしまった。

『機龍警察〔完全版〕』月村了衛 ハヤカワ文庫
正直なところを言うと、警察ミステリはほとんど興味が無かった。〈87分署〉シリーズも一切読んだことなくて、〈フロスト〉シリーズも一作目だけ。でも本作は前から評判が良くて一度目を通しておきたかったので、重い腰を上げて手に取ってみたところ、これがまたおもしろい。近未来の世界で、『装甲騎兵ボトムズ』みたいな近接戦闘兵器・機甲兵装により戦争の状況は一変している。当然ながら犯罪もそれら機甲兵装を使って凶悪化したものが増え、ついに警視庁は契約した三人の傭兵と新型機甲兵装「龍機兵(ドラグーン)」を中心に「特捜部」という独立部隊を立ち上げる。
設定だけ読むとよくあるアニメみたいな感じもするのだけれど、実際に読んでみると印象はぜんぜん違っていた。パワードスーツによる戦闘もたしかにおもしろいのだけれど、それよりもキャラが全部立っていて、キャラ小説としてよくできている。すぐ頭に浮かんだのは〈京極堂〉シリーズ。最近の漫画だと『鬼滅の刃』あたりだろうか。まだシリーズの最初とあって一人一人の過去の十分な掘り下げはされていないし、設定にもいろいろな謎がある。続けて読んでみたくなる力のあるエンタメ小説だった。(さっそく続編の『機龍警察 自爆条項』を買ってこようと近所の本屋に行ったら売ってなかったので、またどこかで探して来なければ。)

『野呂邦暢 古本屋写真集』 ちくま文庫
岡崎武志・古本ツアー・イン・ジャパン(小川力也氏)のお二人による編集で2015年に盛林堂書房から出た本の増補版。芥川賞を受賞しつつ42歳という若さでこの世を去った文学者が、1970年代に撮ったと思しき東京を中心とした古本屋の写真を集めたもので、文庫ではさらに第二部として著者の古本エッセイ、第三部として編者による座談が収録されている。
まずはページを開いた途端、120枚を超える圧倒的な写真の数々に見惚れてしまう。文庫川村や三茶書房、大屋書房に八木書房、一心堂書店に小宮山書店、田村書店といった、今でも多くの客で賑わっている本屋の四十年以上前の(今とあまり変わらない)佇まい。均一台を眺める人々の様子も愉しい。早稲田の古本街は行ったことが無いのでよく分からないが、今は無くなってしまった渋谷や池袋の店と同様に、通ったことのある人にはたまらないものだろう。東京堂書店の店頭でも大プッシュされていたが、これこそ本好き・古本好きのためにあるような本だと思う。あー、愉しかった。

『スターメイカー』オラフ・ステープルドン ちくま文庫
浜口稔訳。著者独特の思弁とビジョンに彩られた、ある種、フィクションの極北とも言える作品。イギリスのある町から精神の飛翔を遂げた「わたし」は、想像力による時空を超えた旅により、この宇宙のすべてを創り出した創造主/スターメイカーの姿を求めて何処までも飛んでゆく……。
語り手である「わたし」を除いては個人が出てこず、一切の会話もないまま、ただひたすら諸世界の進化の歴史が淡々と綴られるというのがなんともはや。物語としてはぎりぎり成立するかどうかの瀬戸際だと思う。国書刊行会からでたハードカバーの元版を全面的に見直したものだそうで、ついこの間のような気がしていたのに、2004年だからもう17年前になるようだ。『オッド・ジョン』や『シリウス』は読んでいたのに、なぜその時に読まなかったんだろうと思う。むしろそれらの作品のイメージが強くて「地味なSF」という捉え方をしていたのかも知れないが、でも一方で『アルクトゥールスへの旅』とか読んでいた筈なんだけどなあ。
〈別地球〉へと到着とその星の描写はスウィフト『ガリバー旅行記』を彷彿とさせる。その後、異世界の人類と精神的な融合をはたして、より高次な存在(「わたしたち」)へと変貌を遂げた主人公は、さまざまな世界を遍歴する。甲殻人類と魚状人類が共生関係にある世界や、小さな鳥のような生物が群体となってひとつの知性を形作る世界、さらには昆虫の集団知性や、移動能力を得て"動物化"した植物生命体などなど、奇怪な生物と彼らが作る社会制度はレムの〈泰平ヨン〉シリーズを連想した。後半になるとさらに物語は広がり、「共同参与的精神」へと変化を遂げた「わたしたち」は、個人から世界-精神、世界-精神から銀河精神、そしてさらにコスモス的精神(銀河宇宙をまたにかけた精神体)へと進化を続ける。恒星や惑星、そしてその世界に棲む小さな生命体の全てからなる銀河精神は、全体が豊かな調和を成し、より優れた知覚者へと目覚めることでさらに大きな共同参与的精神(コスモス的精神)を作り上げていく。(このあたり、ヘーゲルの世界精神をイメージしているような気がしないでもない。)オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』を思わせる思考実験は、読み進めるのに力はいるがなかなか刺激的だ。
そしてついに「スターメイカー」は語り手自身の中に、思索する小さな生命を作り上げたものとして、また、絶対的神霊の永遠に達成された完成体として、相反する二つの相を同時にもって姿を現し、宇宙の始まりから終わりまでの円環が示される……。ゾロアスター教やインド神話的なところもあって、キリスト教的な神学からはかなりはみだす創造主ではあるが、アーサー・C・クラークにも共通する神秘思想のイマジネーションを堪能することが出来た。読み終わったあと、この世に戻ってくるのに少し時間がかかるのが玉に瑕だ(笑)。

『残月記』小田雅久仁 双葉社
『増大派に告ぐ』で2009年に第21回日本ファンタジーノベル大賞して以来、三冊目の本となる。雑誌への掲載はあるけれど、ずいぶんと寡作な作家さんだ。でもこれまでに出た本はどれも傑作(というか、いつまでも心に引っかかる無二の作品)だったので、これも刊行を知ってからずっと楽しみにしていた。
読んだ印象としては、『増大派に告ぐ』のひりひり感から『本にだって雄と雌があります』の豊穣を経て、さらに円熟味が増した感じ。陰影とか切なさとか、さらに細部の焦点がくっきりとして、物語を心ゆくまで味わうことができた。(これまで読んだ本で同じような感覚をもつ作品というと、池上永一『ぼくのキャノン』や真藤順丈『宝島』、それに西崎憲『飛行士と東京の雨の森』所載の「理想的な月の写真」などが思い浮かぶ。)
本書には二つの短篇とひとつの中篇が収録されている。いずれも何かしらの形で月の暗黒面、或いは幽冥の月とでもいうべきものが関わってくる物語で、「極上の恋愛小説」みたいな陳腐な言葉は使いたくないが、決して無くしたくない大切なものを描かせたらほんとうに巧いと思う。個人的には中篇の表題作が圧倒的な書き込みで読ませるが、「そして月がふりかえる」のラストや「月景石」のどちらに転ぶか分からない不安定感も好きだ。いつかジョナサン・キャロルのようなごつくて暗い物語も書いてもらいたい気がする。

『小鳥たち』アナ・マリア・マトゥー 東宣出版
宇野和美訳。 2010年にセルバンテス賞を受賞作した、二十世紀スペインを代表する作家のひとりということだが、恥ずかしながらこれまでまったく知らなかった。それもそのはず、これまで邦訳されたのは児童文学ニ作品を除くと単行本一冊しかないらしい。「リリカルで詩的なリアリズムに空想と幻想が美しく混じりあう」とのふれこみに惹かれて読んでみたが、期待にたがわず素晴らしい本だった。
本書は副題に「マトゥーテ短篇選」とあるように、彼女の著作のいくつかから、全部で二十一篇の掌篇を選んだ日本オリジナルの作品集となっている。〈はじめて出逢う世界のおはなし〉シリーズの一冊なのだけれど、正直いって子どもの頃に本書を読んだら、ある種のトラウマになったかも知れない。収録されているのは、そんな風につらくて哀しくて美しくて、そして心に沁みる物語ばかり。誤解を恐れずに言えば、イサク・ディネーセンの作品に近い香りがした。本邦では小川未明の童話に通じる残酷さを持つ。
どれも一読の価値があると思うが、そのなかでも特に気に入ったのを選ぶとすれば「小鳥たち」「メルキオール王」「島」「枯れ枝」「店の者たち」「月」あたりだろうか。とりわけ「島」や「月」で描かれる幻想の美しさは格別だ。
余談だが、訳者の宇野和美氏の名前にどこか見覚えがあるとおもったら、先日読んだグアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』を訳された方だった。あちらは現代メキシコを代表する作家だったので、あれっ?と思ったのだが、よく考えると同じスペイン語圏だからおかしくはない。そしてもしかしたらこの方の選書は自分の好みにすごく合うような気がしてきた。アンドレス・バルバ『きらめく共和国』も読んでみようかしらん。

『旅する小舟』ペーター・ヴァン・デン・エンデ 求龍堂
文字による説明がまったく無い、60枚あまりの白黒の絵で構成された幻想的な物語。どこか別の世界の太平洋で海に浮かべられた折紙の小舟が、熱帯魚の海やマングローブの林や南極海、工業に犯された死の海などを経て、もうひとつの欧州の港町へと辿り着くまでを、極めて精密な筆致で描き切った大作。本当の意味での「異界」を描くのは、大変な想像力と、それに見合うだけの腕がないと無理だけれど、この著者にはどちらもが備わっている。この本に感じる不気味さの正体は、(画面の昏さだけではなくて、)この世とは異なる別の「道理」が透けて見える辺りにあるのではないかと感じた。ゴーリーにも通じるユーモアも含め、この謎めいた物語をたいへん気に入った。

『SFマンガ傑作選』福井健太/編 創元SF文庫
1970年から80年までの間に発表された、著名な漫画家たちの埋もれた名作や有名作を一人ひとつずつ選んだアンソロジー。手塚治虫や萩尾望都といった大御所の作品や、諸星大二郎に高橋葉介といった渋めのところも収録されているが、藤子・F・不二雄や永井豪などは抜けていたりして、そのあたりが逆に本書の味になっている気がする。収録作は14作にものぼり、さらに巻末には30ページ以上もの戦前から2010年代までのSFマンガ史も載っていて、たいへんに読み応えがある。(もっとも90年代から先はほぼ知らない作品ばかりだったが。)
個人的に好かったのは萩尾望都「あそび玉」、諸星大二郎「生物都市」、佐々木淳子「リディアの住む時に…」、高橋葉介「ミルクがねじを回す時」、水樹和佳子「樹魔」、星野之宣「残像」あたりだろうか。初めて読むものから何度も読み返した懐かしいものまで、バラエティにとんだラインナップが愉しかった。ころで、自分は少女漫画として描かれたSF漫画をほとんど読んでこなかったのだが、本書を読んで何となくその理由が分かったような気がする。家が男兄弟だったせいで子どもの頃に少女漫画に触れる機会が無かったのはもちろん大きいのだけれど、大学生になってもあまり食指が動かなかったのは、◯◯星や超能力、タイムマシンといったSFのガジェットを臆面もなく出されるのが、ちょっと照れくさかったのではないか。ブラッドベリは幻想系の作品は好きだけれど、いわゆるSFの体裁をとった小説は「金星に降る雨」とか、妙に甘ったるいところが正直あまり好きではなかったりする。それに近いのかも知れない。竹宮惠子や山田ミネコの作品を今回読んで思ったのは、そんなことだった。(今ではどれも愉しく読めた。)
若い人にとっては過去の明作に触れる良い機会であるとともに、少し年齢のいった人にはちょっとしたセンチメンタルジャーニー気分も味わえる一冊ではないかと思う。もしも続編が出るのであれば、次は藤子・F・不二雄、永井豪、吾妻ひでおあたりも加えてもらえると嬉しいかな。

『宗教図像学入門』中村圭志 中公新書
「宗教」に「図像」とくれば、例えば本を左手に持っている聖人は誰か?みたいな本かと思ったのだけれど、ぜんぜん違った。キリスト教、イスラム教、仏教といった代表的な世界宗教だけでなく、ジャイナ教やシク教(シーク教)、ゾロアスター教に果ては儒教や道教、古代エジプトやアステカまで、古今東西の様々な宗教を一堂に並べて宗教観や死生観などを解説した図説のような本だった。著者によるあとがき(「おわりに」)を読んでもたしかに「宗教とは論理と感性が絡み合う形で成立している文化であることをイメージトリップを通じて理解していただくのが本書の目的だ」と書いてある。
内容はとにかく広く浅くいろんな宗教図像を紹介する気概に満ちている。ひとつの章をひとつの宗教に絞ったりせず、開祖と聖人、多神教の神々、儀礼や修行の様子、聖地や異郷といったテーマ毎に複数の宗教やローカル信仰を片っ端から紹介する方式をとっているので、なんとなく「驚安の殿堂ドン・キホーテ」の陳列を見ているようだ。あるいは目移りするような数のスィーツが並んでいるケーキバイキングか。9割がたは既に知っている話だったので個人的にはさほど新鮮味はなかったが、これだけまとめて並べられるとさすがに壮観だし、説明もとても分かりやすいので、知っていても愉しめた。宗教図像のハンドブックとしてか、あるいは宗教学の入門書として気軽に読めるのがいいと思う。
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サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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